真光寺の桜 ムービー(瓦谷山だより vol.35 抜粋)

真光寺の桜 (平成29年6月 真光寺住職)

平成六年に私が真光寺に入った当時、花の咲く木は、山桜と金木犀、サツキぐらいしかありませんでした。真光寺に自生する山桜は白花ながら花弁中央に濃い朱が差すなかなか可憐な花で、おそらく大島桜の変異種ではないかと思っています。桜は五百種類以上の品種があるといわれ、変異しやすい樹種であることが知られています。真光寺に植えた桜だけでも「ソメイヨシノ」「ウコンザクラ」「アーコレイド」「関山」「ダルマザクラ」「冬桜」「十月桜」「普賢象」「鎌足桜」「菊枝垂れ」「エドヒガン枝垂れ」……と、非常に多岐にわたります。

これらは桜の品種名ですが、古来、山にある桜は「山桜」、そして桜の名所である吉野山の山桜は「吉野桜」と呼ばれてきました。吉野は修験道で知られる金峯山寺を中心としたエリアで、今から千三百年前、役行者が山桜の木に御本尊、蔵王権現を刻んだことから、桜はご神木とされ、以来この地で大切に守り育てられました。吉野山の桜の中心は「シロヤマザクラ」で、これは初めに赤い葉を出し、その後白い花が咲く系統の山桜です。西行法師の庵から天皇の行在所、秀吉の大花見会など、吉野山は歴史的にもあまりに有名なので、山中の桜を「吉野桜」と総称する場合もあります。では吉野山の「吉野桜」がみな同じ桜かといえばそうではなく、長い年月をかけて地元の人たちが、山の中で特に良いと思われる桜の種を採取し、それを育ててはまた山に植えるという営みを続け、今の吉野山になったといわれます。実生で育つ山桜には一本も同じ桜がないと言っても過言ではなく、花期も少しずつずれ、葉の出方も一本一本違うのです。

水上勉の小説「櫻守」の中に描かれているように、昔はお金持ちが山を買い、桜を植え、専門の植木職人を雇い手入れをして、春の桜を楽しんだということがあったようです。吉野山も地元の人たちが手を入れ続けることにより、見事な景観を維持できているのだと思います。青森の弘前城公園では、地元のボランティアがリンゴの剪定の手法を採り入れ、不要な枝を切ることでソメイヨシノの樹齢限界六十年を超えることに成功し、素晴らしい桜の名所となっています。そのように桜は手のかかる木ですが、手間をかければ応えてくれる木でもあります。

山桜は人間にとって実に有用な樹種で、花を愛でるのみならず、さまざまに利用されてきました。薪としてだけではなく、燻製作りには桜チップが珍重されますし、皮は樺細工などの工芸品に、幹は赤い木肌を活かして家具や家の建築材として用いられます。ひこばえが出やすいので、伐った後も再生し、新しい幹を伸ばします。山桜は里山を代表する樹種の一つであると言ってよいでしょう。

真光寺の寺域の山の中に、昔から「馬車道」といわれてきた幅一メートルほどの山道があり、その沿道には等間隔で桜の木が植えられていますから、山の上まで桜の回廊ができていたはずです。今は使われることもなくすっかり荒れてしまいましたが、昔の人にとって里山は生活用材調達の場だけではなく、楽しむための場でもあったのです。

今春、真光寺では「山桜」「大島桜」「エドヒガンザクラ」「大山桜」等、いわゆる山桜の代表的な品種を植えました。山桜と称して販売されているのはたいてい吉野桜系の山桜と思われますが、関東南岸に自生する山桜は大島桜の系統が多く、伊豆大島には樹齢八百年以上の木があるそうです。潮風にも負けない生命力の強い桜として知られ、大きな花弁は白で香りがよく、真光寺の山桜も開花時には奥ゆかしい香りを放ちます。「エドヒガンザクラ」は寺の入り口の池側に植えられています。早生の品種で、葉に先がけてピンクの花が開きます。よく知られるように、前記の大島桜とエドヒガン桜をかけ合わせて生まれたのがソメイヨシノです。大山桜は別名蝦夷桜といわれるように北海道に多く、花の色から紅山桜ともいわれます。

昨年はソメイヨシノを二十本、今年は山桜系を五十本植えました。さまざまな樹種を混ぜながら山全体を彩っていきたいと思っています。目指すは吉野山です。

 

 

 

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